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物語る~青蓮会勉強会~


先週末は多くの法事が勤まりました。

今週は、月曜日に青蓮会の勉強会と雅楽の練習会。

火曜日に仏婦の例会と行事が続いております。

 

昨日の勉強会においては曇鸞大師と道綽禅師の教えについて。

曇鸞大師のお話の中で、非神話化という話がでました。その話を聞きながら感じたことですが、

 

神話というものは、人間の思慮を超えたものを人間の世界に通ずるように語っていくものです。人間の思慮を超えているから私たちはつい「そんな話はばかばかしい、おとぎ話だ」と一笑に付します。しかし、人間が一体何を分かっているのでしょうか?

例えば「光の速度は?」と聞くと、知った風な顔で「一秒に地球を7周半するほどの速度」と科学の知識で答えるでしょう。確かに正解なんでしょう。でも、それってあなたにとって本当に実感をもって感じられることですか?宇宙の果てまで何百億光年なんて言います。私たちは数字を並べるとわかったような気になります。でも、本当にわかります?百年すら生きられない人間が1光年だってそれがどれだけのことか、本当のところ実感を持てないのが事実じゃないですか。

例えば仏教の教えの中に、人間に生まれてくるということがどれほど稀有なことか、それはガンジス河の砂の数ほどの命の中で、この手にすくえるくらいという表現がありますが、100億分の1の可能性などと言われるより、人間として生まれることがどれほどすごい事なのかよほど想像が働くことじゃないかと思うのです。なのに、数字で言ったものは説得力を感じ、言葉で物語で表現したものは子供だましだというのは、いかに私たちの考えが毒されているかということをあらわしています。分析と実感は違うのです。

 

ある時、法事で「阿弥陀様って本当にいるんかい?だったら年はいくつだい?両親の名前を言ってごらん。」という挑発を受けたことがあります。経典の読み方を知らないのです。昨日読んだところのすぐそばに書いてありましたが、お経の中に指月の譬えというものがあります。お経は月を指す指。指の目的は月を見せること。指を見てもらう事じゃない。みな、言葉にとらわれすぎているのです。阿弥陀仏、浄土、往生という言葉で何を伝えようとしているのか、それを聞いていくことがなければ意味がありません。

私は気づいていないけれど、私という命の上に計り知れない大きなはたらきが届いているんだよということをお経さまは伝えてくれています。お経に説かれているのは、だから私の話。仏教の話は私の話。歴史の話を聞くのではないのです。他人の話を聞くのではないのです。私の話を聞くのです。

 

9月14日昼13時~15時、夜19時半~21時10分

15日朝9時40分~11時40分、13時~15時

秋のお彼岸のお説教が勤まります。足をお運びください。

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