福岡県行橋市中央3丁目8-7

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大乗山 両徳寺

保険の営業


こんばんは。

今日は午前中はお彼岸参り。昼から夜にかけては中津にお説教に出ており、先ほど帰り着いたところです。今日明日の会所は、大学院の後輩のお寺様です。近頃めっきり、共に勉強してきた仲間の所に出向する機会が増えましたが、おそらくそれは住職になったりして講師選定を差配できるようになった、つまりお互いに年をとったということなんでしょう。

 

さて、先日保険屋さんからこんな話を聞きました。

例えば洋服屋の営業というものはお客の方に需要がある。つまり手持ちが古くなったり、ニーズに合うものをもっていなくて、新しい服がほしいという欲求がある。だからその欲求に合わせる形で勧めていけば、必然として売れる。でも保険の営業はそうはいかない。保険に入りたいという欲求をもった人はいないから。だから、その欲求を起こすところから始めないといけない。つまり、「このままでは安心できませんよ、あなたは将来に対してこんな不安を抱えてあるんです。安心するにはこの保険に入らないといけないんです」という不安感を煽るところから始めないといけない。

 

そんな話でした。なるほどな、と思います。このことをお寺に当てはめてみると、お寺に足りないのはこの不安感を煽るということなのかと思います。いい方が悪いですが、私たちが死ぬというのは事実なんです。だけども、皆それを直視したくないものだから、私たちは考えずに過ごそうとするのです。また、考えてもしょうがないと勝手に結論づけるのです。でも果たしてそれで良いのだろうか。その答えを持たずにどこに向かって生きていくのだろうか?ということを一人ひとりにきちんと伝えていくことをしなくてはなりません。

 

先日の布教大会でひと話ありました。今川(行橋の中心に流れる川)沿いをランニングやウォーキングしている人はたくさんいる。その人たちに「あなたは何のためにウォーキング(ランニング)していますか?」と聞くと、おそらく「健康維持のため」とか「大会で好成績を残すため」という答えが返ってくるでしょう。そんな中で「さあ?」と答えたとするならば、それはものすごく奇異なことです。でも、それと同じことを私たちはこの人生においてしているのですよ。終わりゆく命をどう生きていくのか。答えのないまんま漫然と一日一日を生きていて、不安はないですか?そんなお方はぜひお寺参りしてください。

 

私自身は明日が秋のお彼岸出向最終日です。もう一日、ビシッと勤めたいと思います。

 

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