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大乗山 両徳寺

ぬくもり①


最近、ステイホームということで自宅の掃除をする人が増えていると言いますが、私もそのうちの一人です。普段ではありえないくらい机周りがキレイです。また動き出した時に少しでも効率よく動けるようにと、机周りの資料はもちろん今はパソコンの中のデータ整理もしています。すると、今まで仏壮新聞や依頼を受けて書いた文章、中には没になって日の目を見ることのなかったような色んな文章が出てきます。せっかくなので、少しずつここにアップしていこうかなと思います。以下は4年前くらいに依頼を受けて書いた文章。使った方か没った方かは不明です(笑)が、今日明日と両方アップしてみます。

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あるご門徒さんのお宅を訪ねた時、東京に嫁いだ20才過ぎの娘さんについてこんな話を聞きました。「住職さん、この前娘が電話してきたんですが、急に今まで言わなかったようなことを言うんですよ。「お父さんね、私今までうちの両親マジうざいと思ってた。でも、結婚して東京に行って、子ども生まれて、一人で何とかやっている時に初めて思ったんよ。私ってほんと恵まれてたんだなって。ありがとうね」ってね」。この娘さんは、親の保護下から外の世界に飛び出して行った時、改めて親の温もりに出遇ったのでしょう。私たちは失ってみて初めて思い知るということがあります。法話をお聴聞すると、阿弥陀さまのお慈悲の心に抱かれていると聞きますが、私たちは「そんなものありはしない」と否定してかかります。でもそれは、失ったことがないから気づいてないだけなのかもしれません。

「おかあさん」(作詞:西條八十 作曲:中山晋平)という歌があります。

おかあさん おかあさん

おかあさんてば おかあさん

なんにもご用はないけれど

なんだか呼びたい おかあさん

なぜ子どもは用もないのに「おかあさん」と親の名を呼ぶのでしょうか。それはこの言葉の響きの中に親に抱かれたぬくもりを感じるからです。

今、阿弥陀さまは「ナモアミダブツ」という声の姿の仏さまになって下さいました。姿・形あるものは、壊れもするし、離れもします。しかし声であれば、私が一声称えるところにいつもあらわれて下さいます。我が口からこぼれ出る「ナモアミダブツ」の響きの中に阿弥陀さまに抱かれたぬくもりを味わいたいものです。

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