まずはファッションデザイナーでミナ・ペルフォネンを主催する皆川明さんのお話しから。
皆川さんは、元々学生時代陸上部で、陸上でやっていきたいと思っていたのだとか。それが足を故障してしまい断念せざるを得なくなったそうです。そんな時、どうしようと思いながらヨーロッパを旅したときに、パリコレ時期のパリにいたのだそう。知人伝いに、その服の直しの仕事をアルバイトでしたことがきっかけで服に興味を持ち、帰国後服飾の専門学校へ。ただ器用でもないから、優秀な学生でもなかったようです。それでも、10年はやり続けようと言う思いがあったから、評価されずとも何とも思わずにやりつづけたようです。独立してからもまだ服だけでは食べれないから、マグロの解体の仕事などをしたようですが、マグロを裁断するのも服を裁断して作るのも動きが似てるって話しはちょっとウケました。ただ、3年間勤めたそこで見聞きしたことは今の人生の基盤を作ってくれたとも言っていました。腕の良い料理人は、素材をキチンと見極める。何でもいいからくれという料理人は、大した料理人にはならない。キチンと人でも物事でも向き合うことが自分自身が成長する一歩たり得るのでしょう。
だから足を故障したことも今に繋がっているし、マグロの解体をしていたことも今に繋がる。不器用だったから、評価されなくてもやり続けられた。自分の能力の良し悪しも、起きた出来事も、全て無駄なことはなく、今に繋がっているのだと、そんなことを感じられる講演でした。他の話しもありますが、それはまた明日。
二日目の夏生さえりさん。学生時代、たまたま出会った怪しいおじさん。実はラジオのプロデューサーさんだったと。そして5分番組をしばらくもたせてもらってたらしいです。出会いって大切ですし、どこに転がっているか分かりませんね。その後、一年間引き籠もってたみたいなんですが、その時間も自分によっては必要な時間だったから、それは恥ずかしいことではないとも仰ってました。そんな自分を見つけてくれた会社があり、出版の仕事へ。
私は私以外で形作られている
私にとっては普通と思っていることでも、すごい!と喜んでくれる人がいる。
そういう人たちの声が向かう先を教えてくれる。自分がしたい仕事もあるけれど、みんなが喜んでくれることをしていくことも大切。そういうことをしていたら自分のやりたいことに結果辿り着くんじゃないか。
そういう話しを聞かせてくれました。
僕もある方から紹介されて福岡県警の振り込め詐欺防止活動をしました。それでラジオに出させてもらったりしましたが、それが巡り巡ってほおずき夜市を行うときにラジオ番組に出演させてくれて、宣伝に一役買ってくれたりしたんですね。最初から自分のしようとしたことではないけれど、それが後々に別の形で返ってきたりする。その時出会った人が、また別の人を引き寄せてくれて、多くの繋がりに広がっていく。それはほおずき夜市の活動の中で一番教えられたことですが、それが世の中なんだなって思うんです。
また、僕は自分の事を取り立てて何の才能もない人間だと思っていますが、色んな形で光の当たる場所にひっぱりだしてくれる人がいます。僕は自分に出来ることは他の人もできるくらいに考えていますが、そうではないよと言ってくれたりする人もいます。そうなんかなぁと思いながら、毎日自分に出来ることをするのみですが、だからこそさえりさんの言ってることはよく分かるなぁと思いながら聞かせて頂きました。
あの時間は無駄だったと切り捨てるのは簡単なことかもしれません。でも、その時間をどう自分が受け止めていくのか。親鸞聖人も比叡山の20年間は無駄な時間だったとは仰いません。自分自身を知るための時間だったのだと思いめぐらせています。愚直に自分自身と向き合った方だからこそ、その一言一言が私たちの心に突き刺さってくるのでしょう。そのような命の営みをしたいことです。