11月8日、今年2回目のおとなてらこやを開催しました。テーマは「漢字」。講師は私の高校時代の同級生であり、書道家の宇佐美志都さんでした。宇佐美さんは本当は世界を舞台に活躍されている書道家さんなので、両徳寺でこそっと講演をして頂くのは勿体ない方なんですが、同級生のよしみで気易くOKをくれました。ちなみにこんな作品も彼女の字です。世界のSKⅡ!!
最近のYOU TUBE に出ているバラエティ作品→釣りよかでしょう。書道家に習って習字対決
さて、話しを戻すと、漢字の世界の大家・白川静先生の元に長年通い、書くだけではなく知識までも吸収してきた彼女、お話しも大層興味深いものでした。
災という字は、川と火から出来ている。今でも先月の台風を含めた水害と首里城の火災が大きなトピックでしたが、昔から水と火というのは恵みももたらしてくれる反面、一番恐れられているものでもあったのですね。
また「久」。「人」という字は人と人が支え合ってというけれど、本当はそうじゃない。あくまで1人の人しか表現していない。その人が人の手を借りるときはいつか。絶対に1人ではできないことは何か?それは葬送儀礼。たしかに自分の葬儀は自分では出せませんもんね。「久遠」の世界に送り出すという行為において、初めて人の手を借りる。だから久の右下についてある線が助けてくれる人を指している。「ク」という部分は人を横から見た姿だそうです。
そして「口」。漢字は身体の部位が元になったものは色々あるけれど、口だけは実は使われていないのだそう。じゃあ「口」は?口偏の漢字ってたくさんない?って思いますよね?あれは身体の口のことを指しているのではないそうです。口の形に極めて近い「サイ」と言うもの。それは神仏への想いを込めた箱と言ったらいいんだろうか?そもそも昔の人は口を人間同士のコミュニケーション手段として用いてはなかったようで、それは経や祝詞など、神仏へのメッセージ、神仏との交流する手段として口をつかっていたようです。
神仏への想いを込めた「サイ」。それを木の棒で叩いて音を鳴らし、神仏に是非を問う中で「可」という字が生まれ、更にエスカレートしてみんなでそれをする中に生まれてきたのが「歌」。神仏との交流とお勤め、声明、音楽というものはやっぱり切っても切り離せないものなんでしょうね。
もう少し熟考していけば、法話として話せる話しのタネをいくつも披露してくれました(笑)ありがたく頂戴しますが、漢字の世界は改めて面白いなと思いました。白川先生の辞典を買って調べてみたい漢字がいくつも思い浮かびます。しばらく漢字と戯れてみたいと思った一日でした。