<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>大乗山 両徳寺（福岡県行橋市のお寺・納骨堂） &#187; 法話</title>
	<atom:link href="http://www.ryotokuji.com/category/talk/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://www.ryotokuji.com</link>
	<description></description>
	<lastBuildDate>Fri, 08 Aug 2025 12:25:35 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=4.2.38</generator>
	<item>
		<title>ミチシルベ①</title>
		<link>http://www.ryotokuji.com/2020/05/12/%e3%83%9f%e3%83%81%e3%82%b7%e3%83%ab%e3%83%99%e2%91%a0/</link>
		<comments>http://www.ryotokuji.com/2020/05/12/%e3%83%9f%e3%83%81%e3%82%b7%e3%83%ab%e3%83%99%e2%91%a0/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 12 May 2020 06:13:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[t_funakawa]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[住職のつぶやき]]></category>
		<category><![CDATA[法話]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.ryotokuji.com/?p=2059</guid>
		<description><![CDATA[&#160; 僕は自然が大好きです。普段が人の中での仕事だからか、人を離れた世界が好きなのかもしれません。その自然の中で行うスポーツが好きです。だからトライアスロンなんぞしてしまいます。その自然にチャレンジするのがまた楽 &#8230; <a href="http://www.ryotokuji.com/2020/05/12/%e3%83%9f%e3%83%81%e3%82%b7%e3%83%ab%e3%83%99%e2%91%a0/" class="more-link">続きを読む <span class="screen-reader-text">ミチシルベ①</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.ryotokuji.com/wp-content/uploads/2020/05/img_2954.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2053" src="http://www.ryotokuji.com/wp-content/uploads/2020/05/img_2954-480x360.jpg" alt="img_2954.jpg" width="480" height="360" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>僕は自然が大好きです。普段が人の中での仕事だからか、人を離れた世界が好きなのかもしれません。その自然の中で行うスポーツが好きです。だからトライアスロンなんぞしてしまいます。その自然にチャレンジするのがまた楽しいんですね。近年は少し幅を広げてトレイルランなんかもいいな♪と思いまして、山にも行くようになりました。トレランもしますが、純粋に登山、トレッキングも楽しいです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>山を歩くとふと思います。そこにはなんとなくの道があること。迷わないように、木に紐をつけてくれている人がいる。倒木で道をふさいで、間違った方向に行かないようにしてくれた人がいる。滑り易くて、危ない場所にロープや鎖をつけてくれた人がいる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>道なき道を一人で切り開いていくことはとても大変なことです。達成感はあるでしょうが、大きな危険を伴います。でも、その切り開いてくれた方のおかげで、それ以降の人は安心してその道を辿ることができます。安心しながら、道を切り開いてくれた方に感謝しながら道を歩む時間は楽しいです。</p>
<p>仏教に置き換えてみると、道なき道を切り開かれたのが法然聖人や親鸞聖人です。誰も言ったことのない法を説くのでたくさんのバッシングを受けました。でも、そこに耐えて伝え続けてくれたおかげで、安心して仏法をお聴聞させていただける今があります。ありがたいですね。</p>
<p>当たり前にうけとめていること一つ一つに大きなご苦労があり、だからこそ大きな感謝の中の生活をしていかなくちゃなと山行したときは思わせてもらうのでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.ryotokuji.com/2020/05/12/%e3%83%9f%e3%83%81%e3%82%b7%e3%83%ab%e3%83%99%e2%91%a0/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ぬくもり②</title>
		<link>http://www.ryotokuji.com/2020/04/26/%e3%81%ac%e3%81%8f%e3%82%82%e3%82%8a%e2%91%a1/</link>
		<comments>http://www.ryotokuji.com/2020/04/26/%e3%81%ac%e3%81%8f%e3%82%82%e3%82%8a%e2%91%a1/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 26 Apr 2020 08:46:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[t_funakawa]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[法話]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.ryotokuji.com/?p=2041</guid>
		<description><![CDATA[忘れられない言葉があります。 それはあるお葬儀でのこと。祖母を亡くした１８歳の男の子が、弔辞でこんな話をしてくれました。 「おばあちゃんの具合が悪いことは、随分前から知っていました。母は僕に「おばあちゃん、具合悪いんよね &#8230; <a href="http://www.ryotokuji.com/2020/04/26/%e3%81%ac%e3%81%8f%e3%82%82%e3%82%8a%e2%91%a1/" class="more-link">続きを読む <span class="screen-reader-text">ぬくもり②</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.ryotokuji.com/wp-content/uploads/2020/04/2441725.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2043" src="http://www.ryotokuji.com/wp-content/uploads/2020/04/2441725-480x320.jpg" alt="2441725" width="480" height="320" /></a></p>
<p>忘れられない言葉があります。</p>
<p>それはあるお葬儀でのこと。祖母を亡くした１８歳の男の子が、弔辞でこんな話をしてくれました。</p>
<p>「おばあちゃんの具合が悪いことは、随分前から知っていました。母は僕に「おばあちゃん、具合悪いんよね」と何度も言っていたからです。おそらく、母はおばあちゃんのいる故郷に一緒に帰って欲しかったのだと思います。そうだと知っていたのに、僕は「ふーん、そう。ふーん、そう」という一言で聞き流していたのです。でもこうしておばあちゃんが亡くなり、その手に触れてみると、僕は涙が止まらなくなりました。こんなことなら何で今まで帰ってこなかったのか、今になって後悔がやみません」。彼は祖母の手の冷たさに触れたときに、今まで抱かれていた温もりに出遇ったのです。</p>
<p>私たちは失ってみて初めて温もりを知るということがあります。法話をお聴聞すると、阿弥陀さまのお慈悲の心に抱かれていると聞きますが、私たちは「そんなものありはしない」と否定してかかります。でもそれは、失ったことがないから気づいてないだけなのかもしれません。</p>
<p>「おかあさん」（作詞：西條八十　作曲：中山晋平）という歌があります。</p>
<p>おかあさん　おかあさん</p>
<p>おかあさんてば　おかあさん</p>
<p>なんにもご用はないけれど</p>
<p>なんだか呼びたい おかあさん</p>
<p>なぜ子どもは用もないのに「おかあさん」と親の名を呼ぶのでしょうか。それはこの言葉の響きの中に親に抱かれたぬくもりを感じるからです。</p>
<p>今、阿弥陀さまは「ナモアミダブツ」という声の姿の仏さまになって下さいました。姿・形あるものは、壊れもするし、離れもします。しかし声であれば、私が一声称えるところにいつもあらわれて下さいます。我が口からこぼれ出る「ナモアミダブツ」の響きの中に阿弥陀さまに抱かれたぬくもりを味わいたいものです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.ryotokuji.com/2020/04/26/%e3%81%ac%e3%81%8f%e3%82%82%e3%82%8a%e2%91%a1/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ぬくもり①</title>
		<link>http://www.ryotokuji.com/2020/04/25/%e3%81%ac%e3%81%8f%e3%82%82%e3%82%8a%e2%91%a0/</link>
		<comments>http://www.ryotokuji.com/2020/04/25/%e3%81%ac%e3%81%8f%e3%82%82%e3%82%8a%e2%91%a0/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 25 Apr 2020 01:46:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[t_funakawa]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[法話]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.ryotokuji.com/?p=2038</guid>
		<description><![CDATA[最近、ステイホームということで自宅の掃除をする人が増えていると言いますが、私もそのうちの一人です。普段ではありえないくらい机周りがキレイです。また動き出した時に少しでも効率よく動けるようにと、机周りの資料はもちろん今はパ &#8230; <a href="http://www.ryotokuji.com/2020/04/25/%e3%81%ac%e3%81%8f%e3%82%82%e3%82%8a%e2%91%a0/" class="more-link">続きを読む <span class="screen-reader-text">ぬくもり①</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>最近、ステイホームということで自宅の掃除をする人が増えていると言いますが、私もそのうちの一人です。普段ではありえないくらい机周りがキレイです。また動き出した時に少しでも効率よく動けるようにと、机周りの資料はもちろん今はパソコンの中のデータ整理もしています。すると、今まで仏壮新聞や依頼を受けて書いた文章、中には没になって日の目を見ることのなかったような色んな文章が出てきます。せっかくなので、少しずつここにアップしていこうかなと思います。以下は４年前くらいに依頼を受けて書いた文章。使った方か没った方かは不明です(笑)が、今日明日と両方アップしてみます。</p>
<p><a href="http://www.ryotokuji.com/wp-content/uploads/2020/04/kid-274310_640.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2039" src="http://www.ryotokuji.com/wp-content/uploads/2020/04/kid-274310_640-480x360.jpg" alt="kid-274310_640" width="480" height="360" /></a></p>
<p>あるご門徒さんのお宅を訪ねた時、東京に嫁いだ２０才過ぎの娘さんについてこんな話を聞きました。「住職さん、この前娘が電話してきたんですが、急に今まで言わなかったようなことを言うんですよ。「お父さんね、私今までうちの両親マジうざいと思ってた。でも、結婚して東京に行って、子ども生まれて、一人で何とかやっている時に初めて思ったんよ。私ってほんと恵まれてたんだなって。ありがとうね」ってね」。この娘さんは、親の保護下から外の世界に飛び出して行った時、改めて親の温もりに出遇ったのでしょう。私たちは失ってみて初めて思い知るということがあります。法話をお聴聞すると、阿弥陀さまのお慈悲の心に抱かれていると聞きますが、私たちは「そんなものありはしない」と否定してかかります。でもそれは、失ったことがないから気づいてないだけなのかもしれません。</p>
<p>「おかあさん」（作詞：西條八十　作曲：中山晋平）という歌があります。</p>
<p>おかあさん　おかあさん</p>
<p>おかあさんてば　おかあさん</p>
<p>なんにもご用はないけれど</p>
<p>なんだか呼びたい おかあさん</p>
<p>なぜ子どもは用もないのに「おかあさん」と親の名を呼ぶのでしょうか。それはこの言葉の響きの中に親に抱かれたぬくもりを感じるからです。</p>
<p>今、阿弥陀さまは「ナモアミダブツ」という声の姿の仏さまになって下さいました。姿・形あるものは、壊れもするし、離れもします。しかし声であれば、私が一声称えるところにいつもあらわれて下さいます。我が口からこぼれ出る「ナモアミダブツ」の響きの中に阿弥陀さまに抱かれたぬくもりを味わいたいものです。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.ryotokuji.com/2020/04/25/%e3%81%ac%e3%81%8f%e3%82%82%e3%82%8a%e2%91%a0/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>耳なれ雀</title>
		<link>http://www.ryotokuji.com/2019/09/26/%e8%80%b3%e3%81%aa%e3%82%8c%e9%9b%80/</link>
		<comments>http://www.ryotokuji.com/2019/09/26/%e8%80%b3%e3%81%aa%e3%82%8c%e9%9b%80/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 26 Sep 2019 14:09:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[t_funakawa]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[住職のつぶやき]]></category>
		<category><![CDATA[法話]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.ryotokuji.com/?p=1944</guid>
		<description><![CDATA[今日は築城のお寺様にお説教のご縁で伺っておりました。こちらのお寺の住職さんは１０代からの付き合いです。長年可愛がってもらっております。ご門徒さんもうちのお寺にお聴聞に来て下さる方もいますし、今年亡くなったそうですが、母の &#8230; <a href="http://www.ryotokuji.com/2019/09/26/%e8%80%b3%e3%81%aa%e3%82%8c%e9%9b%80/" class="more-link">続きを読む <span class="screen-reader-text">耳なれ雀</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.ryotokuji.com/wp-content/uploads/2019/09/3273661.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1945" src="http://www.ryotokuji.com/wp-content/uploads/2019/09/3273661-480x320.jpg" alt="3273661" width="480" height="320" /></a></p>
<p>今日は築城のお寺様にお説教のご縁で伺っておりました。こちらのお寺の住職さんは１０代からの付き合いです。長年可愛がってもらっております。ご門徒さんもうちのお寺にお聴聞に来て下さる方もいますし、今年亡くなったそうですが、母の友人なんかもいましたから、勝手に親近感をもちながら接せさせて頂いております。</p>
<p>今日のお昼が初座でしたが、その演台に立つ前の事。ちょっとお手洗いにとトイレに向かうと、トイレの洗面台の蛇口から水が出たまんまではありませんか！あらあらと思い水栓を締めたのですが、なぜこんなことが起きてしまうのか想像はつきました。</p>
<p>現在はどなたでもご自身の家庭はともかく、出先ではデパートであろうとコンビニであろうと、大抵の場所は手を差し出すと自動で水が出たり止まったりする洗面台が使われています。そんな生活に慣れてしまうと、最初は自分で蛇口をひねって水をだしたはずなのに、もう「水は勝手に止まるもの」との思いから閉め忘れるということがおきたのだと思います。一昔前は、勝手に水が止まるなんて考えもしなかったのに、人間の慣れとは恐ろしいものです。</p>
<p>その慣れということで思い出すのが、表題の「耳なれ雀」の話です。</p>
<p>蓮如上人は『御一代聞書』で、</p>
<p>おどろかす　かひこそなけれ　村雀<br />
耳なれぬれば　なるこにぞのる</p>
<p>なることは雀を驚かして食害から農産物を守るための道具ですが、いつもいつも聞いていたら雀たちも「あ～、いつものやつね」と驚かなくなるそうです。それと同じことで、いつもお寺に参っている人には、初めて仏法に出会った時、もしくはしかるべきタイミングで聞いたご法話に感動を覚えた時、「この法に出遇えてよかったなあ」と思ったことはあるはずです。でも、いつもいつもお寺参りすることが当たり前になった時、「はいはい、いつも聞く話ね」といつの間にか感動はどこへやら、新鮮さを失ってただ聞き流すということが起こってきます。それでは本当に聞いた値打ちはないのだと、先人たちはこの態度を戒めるために</p>
<p>「今日のこのご縁は初事と思うべし」</p>
<p>と仰っています。なかなかいつもいつも初事と思うことは難しいことではありますが、同じ話を聞くことを楽しみ、同じ話をする中にも今日の新鮮な感覚を保ちながら向き合いたいと思った秋のお彼岸のご縁でした。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.ryotokuji.com/2019/09/26/%e8%80%b3%e3%81%aa%e3%82%8c%e9%9b%80/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>最後に遺していくもの</title>
		<link>http://www.ryotokuji.com/2018/01/06/%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ab%e9%81%ba%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%8f%e3%82%82%e3%81%ae/</link>
		<comments>http://www.ryotokuji.com/2018/01/06/%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ab%e9%81%ba%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%8f%e3%82%82%e3%81%ae/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 06 Jan 2018 14:54:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[t_funakawa]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[住職のつぶやき]]></category>
		<category><![CDATA[法話]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.ryotokuji.com/?p=1530</guid>
		<description><![CDATA[今日午前中にご法事をしながら思い出したのは、昨日の投稿の話には続きがあったということ。 後日談として、弟が寺に嫁いだ姉に向かって 「自分も何かできることはないだろうか？」と相談するんです。 そしたら、 「じゃあ、こっちで &#8230; <a href="http://www.ryotokuji.com/2018/01/06/%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ab%e9%81%ba%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%8f%e3%82%82%e3%81%ae/" class="more-link">続きを読む <span class="screen-reader-text">最後に遺していくもの</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>今日午前中にご法事をしながら思い出したのは、昨日の投稿の話には続きがあったということ。</p>
<p>後日談として、弟が寺に嫁いだ姉に向かって</p>
<p>「自分も何かできることはないだろうか？」と相談するんです。</p>
<p>そしたら、</p>
<p>「じゃあ、こっちでは７日ごとにお参りをするから、あなたも毎週これを読み」とお経本を渡して正信偈を読むように教えたそうです。弟はそのようにしたようです。この弟さん、たとえ姉が寺に嫁ごうとも本堂で手を合わせたことすらなかったそうですが、親との別れが今度は仏様との出遇いにつながったんでしょうね。</p>
<p>しかし、実際に多くの方がそうなんですよね。お寺参りするきっかけは親やお子さん、連れ合いさんを亡くした時から。その人に対する思いの中からお寺での話をきくようになり、手を合わせたり念仏申すようになります。そのお方が私に遺してくれた最後のご縁と言えるでしょう。その縁をみんなが大切にしてほしいものです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに、今日の午前中のご法事。９６才で亡くなったおばあちゃんの１００ヶ日でした。せっかくなので、この話をさせてもらったんですが、そのおばあちゃんからいうたら息子さん、もしかしたらこの父と弟と似たような関係性があったのかもしれません。私が話している間に娘や妹などがニヤニヤしながらこの息子さんを眺めるんです。本人はずっとうつむき、頷きながら聞いていました。その光景が妙に微笑ましくみえた午前のご縁でした。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.ryotokuji.com/2018/01/06/%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ab%e9%81%ba%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%8f%e3%82%82%e3%81%ae/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>臨終勤行</title>
		<link>http://www.ryotokuji.com/2017/11/13/%e8%87%a8%e7%b5%82%e5%8b%a4%e8%a1%8c/</link>
		<comments>http://www.ryotokuji.com/2017/11/13/%e8%87%a8%e7%b5%82%e5%8b%a4%e8%a1%8c/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 13 Nov 2017 14:13:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[t_funakawa]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[住職のつぶやき]]></category>
		<category><![CDATA[法話]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.ryotokuji.com/?p=1456</guid>
		<description><![CDATA[充実した、というか考えるところの多かった数日間でした。 １１日の午後は壮年会の方のお宅のご法事。お斎と法事合わせて４時間も滞在させていただきました。その間、ずっとそばに息子さんや娘さんがおられてお話しさせていただきました &#8230; <a href="http://www.ryotokuji.com/2017/11/13/%e8%87%a8%e7%b5%82%e5%8b%a4%e8%a1%8c/" class="more-link">続きを読む <span class="screen-reader-text">臨終勤行</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>充実した、というか考えるところの多かった数日間でした。</p>
<p>１１日の午後は壮年会の方のお宅のご法事。お斎と法事合わせて４時間も滞在させていただきました。その間、ずっとそばに息子さんや娘さんがおられてお話しさせていただきました。こういう機会に次の代の皆さんとゆっくり交わらせていただけたら本当にうれしいです。どちらかというと、敬って遠ざかられることの方が多いですからね。</p>
<p>その晩は、壮年会の例会。現在、お釈迦様の生涯を学んでいます。成道というお悟りを開かれるところから、涅槃に入られる一歩手前までを流していきました。ちなみに、先の壮年会のお方。法事で遠方から家族が集まってきているから休むというかと思ったら、きちんと出てきてくれました。そこまで含めてお寺を大事にしている姿を息子さん娘さんに見せて下さる。本当に身業説法ですよ、ありがたいです。</p>
<p>ちなみに、夕方とある門徒さんのお宅のワンちゃんが亡くなったということで、お勤めに行かせてもらいました。その時に仰られたことがあまりにありがたいので、簡単にですが、ちょっと書かせてもらいます。</p>
<p>「うちの両親を見送った時は病院でした。先生が機械を眺め、臨終ですと告げられて「そうなのか」という感じでした。でも、この子（と先に亡くなったもう一匹の犬）は最後まで私の腕の中で看取りました。腕を通して心臓の鼓動が聞こえてきて、その生命力が無くなっていくのが分かります。その時です。臨終勤行を勤めさせてもらいました。讃仏偈のお勤め。ありがとうと感謝の言葉。そしてお念仏。両親の時はありがとうしか言えませんでした。でも、母が亡くなったのを気にお寺に通うようになって、今はお勤めができます。お寺で聞くお説教は正直わからないところもありますが、今回こういう別れを過ごすために私は今までお寺に通ってきたんだなと思いました」。最後にお勤めしながら、死の受容をしていく。別れの中にここまでの自分の人生を受け止めていく。これが臨終勤行なんですよね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>１２日、１３日は田川への布教。ずいぶん前からお世話になっているお寺で、隔年で行かせてもらうのですが、実は去年も本来のお寺の法座とは異なる行事の会所であり、その際に招いて下さったので、３年連続のご縁となりました。初々しいご養子の若ご院家さんと人懐っこい若坊守さんの姿が僕は大好きです。毎回近所の仲良しの若坊守さんとか、坊守さんがお聴聞に来てくださいます。今回の布教に関しては、実はここ最近のゴタゴタで心が不安定で臨んでいた気がします。不安定というか、言葉は整理できていないんだけど、伝えたいことだけはたくさんあるという。でも、「話したい事を話したいときに話す方がいいよ」と先日どなたかとの会話で言い交してあったので、今感じることを突っ込みながらお取次ぎしておりました。</p>
<p>嬉しかったのは、初日の夕方「今日のお昼のお取次ぎありがとうございました。人柄が滲みでていますね、伝わりましたよ」と言ってくれたこと。自分の職場でのことも踏まえ、大いに共感してくれたようでした。まだうまく整理できていませんが、伝えたいことが今溢れています。早く整理したい。。。</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.ryotokuji.com/2017/11/13/%e8%87%a8%e7%b5%82%e5%8b%a4%e8%a1%8c/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>仏法の味わい</title>
		<link>http://www.ryotokuji.com/2017/10/21/%e4%bb%8f%e6%b3%95%e3%81%ae%e5%91%b3%e3%82%8f%e3%81%84/</link>
		<comments>http://www.ryotokuji.com/2017/10/21/%e4%bb%8f%e6%b3%95%e3%81%ae%e5%91%b3%e3%82%8f%e3%81%84/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 21 Oct 2017 10:11:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[t_funakawa]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[住職のつぶやき]]></category>
		<category><![CDATA[法話]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.ryotokuji.com/?p=1426</guid>
		<description><![CDATA[秋の法要、初座が終わりました。今回の布教、直接ではないですが、今自分が感じていること。 &#160; 僕は正直なことを言うと、お葬儀のお斎のお弁当があまり好きではありません。それは３６５日、いつでも同じ味しかしないから。 &#8230; <a href="http://www.ryotokuji.com/2017/10/21/%e4%bb%8f%e6%b3%95%e3%81%ae%e5%91%b3%e3%82%8f%e3%81%84/" class="more-link">続きを読む <span class="screen-reader-text">仏法の味わい</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>秋の法要、初座が終わりました。今回の布教、直接ではないですが、今自分が感じていること。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>僕は正直なことを言うと、お葬儀のお斎のお弁当があまり好きではありません。それは３６５日、いつでも同じ味しかしないから。一方で、法座の際に婦人会の皆さんが作ってくれるお斎は大好きです。使われている食材は一緒なんです。でも違うんです。そこには作ってくれた人の温もりがあるからです。お説教は教科書の話をするのではありません。その人という一人の人格を通して味わった所の仏法が聞こえてくる。人生の吸いも甘いもみな含んだ、その人の人生全体と仏法がミックスされたものが聞こえてくる。それが楽しい。その話は今日しか聞けない。仮に３年後に来てもらったとして、その時はその３年間の厚みが加わった話になるでしょう。それはそれでもちろん良いけれど、４５年物のワインは今日しか味わえない。だから、今聞いてもらいたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そんな想いの沸いてくるお説教でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>両徳寺 秋の法要<br />
10月21日(土)<del>昼席13時</del>、夜席19時半<br />
10月22日(日)朝席9時40分、昼席13時<span class="text_exposed_show"><br />
講師:村上 元 師</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まだまだ待ってます。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.ryotokuji.com/2017/10/21/%e4%bb%8f%e6%b3%95%e3%81%ae%e5%91%b3%e3%82%8f%e3%81%84/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>私の上に～秋彼岸法話～</title>
		<link>http://www.ryotokuji.com/2017/09/11/%e7%a7%81%e3%81%ae%e4%b8%8a%e3%81%ab%ef%bd%9e%e7%a7%8b%e5%bd%bc%e5%b2%b8%e6%b3%95%e8%a9%b1%ef%bd%9e/</link>
		<comments>http://www.ryotokuji.com/2017/09/11/%e7%a7%81%e3%81%ae%e4%b8%8a%e3%81%ab%ef%bd%9e%e7%a7%8b%e5%bd%bc%e5%b2%b8%e6%b3%95%e8%a9%b1%ef%bd%9e/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 11 Sep 2017 06:25:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[t_funakawa]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[法話]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.ryotokuji.com/?p=1382</guid>
		<description><![CDATA[本願寺新報の９月１０日号にご法話を掲載して頂きました。８月下旬に書いていたのはこの原稿でした。この週末皆さんの手元に届いたようで、今日たまたまご法事に伺ったお宅の方から、「見ましたよ～、文章がす～っと入ってきました」と感 &#8230; <a href="http://www.ryotokuji.com/2017/09/11/%e7%a7%81%e3%81%ae%e4%b8%8a%e3%81%ab%ef%bd%9e%e7%a7%8b%e5%bd%bc%e5%b2%b8%e6%b3%95%e8%a9%b1%ef%bd%9e/" class="more-link">続きを読む <span class="screen-reader-text">私の上に～秋彼岸法話～</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.ryotokuji.com/wp-content/uploads/2017/09/wpid-1505110772609.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1383" src="http://www.ryotokuji.com/wp-content/uploads/2017/09/wpid-1505110772609-360x480.jpg" alt="wpid-1505110772609.jpg" width="360" height="480" /></a></p>
<p>本願寺新報の９月１０日号にご法話を掲載して頂きました。８月下旬に書いていたのはこの原稿でした。この週末皆さんの手元に届いたようで、今日たまたまご法事に伺ったお宅の方から、「見ましたよ～、文章がす～っと入ってきました」と感想を聞かせてくれました。泣きそうです。他にも友人・知人からチラホラと感想を聞きますが、せっかくなので、ここに掲載させて頂きます。ただし、最終校正前の私の手元にある原稿の状態で載せます。</p>
<p>～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～</p>
<p>まもなくお彼岸の季節がやってまいります。お彼岸は、仏教が発祥したインドや中国にはない日本固有の宗教行事で、太陽が真西に沈む「春分の日」と「秋分の日」を中日とし、その前後１週間をお彼岸の時期としております。</p>
<p>仏教においては私たちの世界と仏さまの世界を川の両岸に喩えて、私たちのこの世を「此岸」といい、これに対して、阿弥陀さまの国＝お浄土を「彼岸」と呼びます。『仏説阿弥陀経』には、「従是西方過十万億仏土有世界名曰極楽」と説かれ、このお浄土は西方にあると示されます。このことから、太陽が真西に沈むこの時期にお浄土を想い、仏さまのお話を聞く慣わしとしているのです。</p>
<p>さて、そんなお彼岸の過ごし方を考えてみると、家族連れだってお墓参りをする光景を思い浮かべる方も多いことでしょう。</p>
<p>数年前、お彼岸を迎えるに先だって、あるテレビ番組で「お彼岸特集」が組まれていました。その中で、お墓参りの時に子どもたちはどんなことを思いながら手を合わせているのか、というアンケートが紹介されていました。</p>
<p>その結果、１位２位は「お礼」と「報告」。亡くなった祖父母やご先祖さまに、今の自分の姿を報告したり、お世話になったことへの感謝の意を伝えるために、お墓に向き合っているということでした。</p>
<p>そんな中で、お墓参りに来た小学校高学年の男の子が、テレビ局のリポーターからインタビューされることとなりました。</p>
<p>「今、お墓にお参りしていたけど、どんな思いで手を合わせていたの？」</p>
<p>「おじいちゃんに近況報告をしていました。今、僕はサッカーをしています。昨日も試合に出て勝つことができました。これからも頑張るから、おじいちゃんもそっちで頑張ってねって」</p>
<p>この時、この男の子の答えを聞いたスタジオの大人たちが一様に笑い始めたのです。その笑い声に、テレビの前の私は違和感をおぼえました。</p>
<p>この子の答えのどこがそんなにおかしかったのでしょうか。もし笑うとするならば、「おじいちゃんもそっちで頑張ってね」という言葉でしょう。</p>
<p>確かに、「人間死んだらしまい」と考えている人にとっては、死は頑張りようもなくなる姿ですから滑稽に響くことでしょう。また、「亡くなった方は安らかに眠る」と考えている人にとっても、「頑張って」と言う言葉はおかしく聞こえるかもしれません。</p>
<p>しかし、私たち浄土真宗の念仏者が真実信心を恵まれて命終わって「仏となる」ということは、消えてなくなるわけでも、お墓の中で眠ることでもないのです。「仏となる」とは、阿弥陀仏のご本願のはたらきによって浄土に生まれ、真実に目覚めたいのち、仏となることをいうのです。</p>
<p>それのみならず、浄土で仏となった者は迷いの世に還り来たって縁ある人々を護り導くはたらきをするのです。</p>
<p>つまり、仏となった方々は、「そっち」ではなく、「こっち」＝「私」の上で〝頑張って〟下さるのです。</p>
<p>今、全国各地の多くの門信徒の皆さんがお寺にご参詣下さっております。そのきっかけはというと、ご自身が病気になられたことやご法義のある家庭に育った事という方もおられますが、最も多いのは両親や兄弟、お子様といった親しい家族との死別がきっかけとなる場合です。自分自身や家族のいのちが揺らいだときにお寺の山門をくぐろうと思うのです。「死んだらしまい」「消えてなくなる」で済んでいたものが、その一言では済まされなくなったということです。他人事であった死という問題が我が事に変わったということです。私たちはどんな問題でも私ごとになったときにしか、言葉は耳に入ってこないのかもしれません。そして家族との死別という状況下で勤められる通夜や葬儀、法事、法要を通してお浄土という生まれ往く世界を知らされ、私のいのちの上にはたらいて下さっておる阿弥陀さまを知らされ、気がつけば「ナモアミダブツ」とお念仏申す身へとなっておる私がいます。その私をナモアミダブツと出遇わせてくれた一連の出来事を、今「私」の上で〝頑張って〟下さっていると味わうのです。</p>
<p>その時その時は何も思わず、ただただ聞こえてくる言葉に耳を傾けている私たちですが、振り返ってみると「あの時のあの出遇いが、あの別れがなければこうしてお寺に足を向けることも無かったなぁ」と言う出遇いや別れは誰しもが思い当たるところがあると思います。そのお一人おひとりの導きが私を阿弥陀さまへと出遇わせて下さいました。その阿弥陀さまは自分自身の命の行く末が分からない私に、「あなたの生まれ往く世界はここだよ。この浄土に必ず救う、我にまかせよ」とお喚びかけ下さっています。その喚び声に私たちは今ここで安心を頂くのです。</p>
<p>お彼岸にあたり、今までの先人の皆さまからのお育てにお礼申し上げ、改めてお浄土のいわれをお聴聞させていただきましょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.ryotokuji.com/2017/09/11/%e7%a7%81%e3%81%ae%e4%b8%8a%e3%81%ab%ef%bd%9e%e7%a7%8b%e5%bd%bc%e5%b2%b8%e6%b3%95%e8%a9%b1%ef%bd%9e/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ふるさと</title>
		<link>http://www.ryotokuji.com/2017/04/04/%e3%81%b5%e3%82%8b%e3%81%95%e3%81%a8/</link>
		<comments>http://www.ryotokuji.com/2017/04/04/%e3%81%b5%e3%82%8b%e3%81%95%e3%81%a8/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 04 Apr 2017 11:12:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[t_funakawa]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[住職のつぶやき]]></category>
		<category><![CDATA[法話]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.ryotokuji.com/?p=1195</guid>
		<description><![CDATA[今日も様々ありました。朝はランニングから月参り。昼は組内寺院でのお葬儀。帰って夕方は双子会。夜はお通夜のご縁でした。様々に思う所があった一日でした。 朝の月参りでは昨日の読書会の話しに。来てくれているご門徒さんなので。そ &#8230; <a href="http://www.ryotokuji.com/2017/04/04/%e3%81%b5%e3%82%8b%e3%81%95%e3%81%a8/" class="more-link">続きを読む <span class="screen-reader-text">ふるさと</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.ryotokuji.com/wp-content/uploads/2017/04/wpid-wp-1491315004831.jpeg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1198" src="http://www.ryotokuji.com/wp-content/uploads/2017/04/wpid-wp-1491315004831-480x480.jpeg" alt="wpid-wp-1491315004831.jpeg" width="480" height="480" /></a>今日も様々ありました。朝はランニングから月参り。昼は組内寺院でのお葬儀。帰って夕方は双子会。夜はお通夜のご縁でした。様々に思う所があった一日でした。</p>
<p>朝の月参りでは昨日の読書会の話しに。来てくれているご門徒さんなので。そんな中で以前東京に住んでいた時のお話しとして、「東京の人はふるさとを持っていない」という話が印象的で。正確には、東京生まれ東京育ちだと、東京がふるさとなんですが、東京に「ふるさと」らしさが感じられないのですよね。だから、帰りゆく場所のある人を羨ましく思っているということなんですね。もちろん、みんなじゃないでしょうが、なるほどなぁ～っと思います。僕はあまり東京で暮らしたことはないし、たまにしか行かないけど、行くたびに「ここで生活はしたくない」と感じちゃいます。仕事の為に一時滞在する場所ではあっても、身を落ち着ける場所ではないと、なんとなく空気感から感じてしまいます。そういうことなんでしょう。</p>
<p>帰りゆく場所を持ち得る身はありがたいです。私たちはお浄土という帰りゆく場所を持っています。「死んだらしまい」としか思えない人間よりも、帰っていける世界があるというのはありがたいですね。それをまた感じさせていただいたのが、お昼のお葬儀のご縁です。このお葬儀でありがたかったのは、地域の老人会の弔辞。失礼な話、大概の地域は支離滅裂なつぎはぎの文章を読んでいます。おかしいよと言っても聞く耳をもちません。でも、今日の今川校区の弔辞は素晴らしかったです。聞けば、先代真行寺のご住職さま、現・永楽寺のご住職さまの努力の賜物のようです。不正確で申し訳ないですが、</p>
<p>「私たちは親しき身内を亡くして悲しみに堪えません。でもその何万倍もの悲しみをもってわが身に接してくださったのが阿弥陀さまです」。阿弥陀様の大悲の心を告げてくださいました。そこに、お浄土というまた遇う世界が生まれたのだという心を読んでくださいました。</p>
<p>ありがたいご法縁でした。</p>
<p>帰ってからの双子会。みんな子どもたちが体調を崩しぎみのようで、あまり集まりませんでしたが、密にお話しさせて頂きました。</p>
<p>そして夜はお通夜。祖母と２つ違いのお方。大変お世話になってきたようでした。物を作り、人に施すことが楽しみというお方。</p>
<p>重誓偈の</p>
<p>我於無量劫　不為大施主　普済諸貧苦　誓不成正覚</p>
<p>という言葉を思いながら、お取次ぎ。ご法名もここから頂きました。</p>
<p>ちなみに、先日の記事に関連して一言。お通夜は９７歳の方でしたが、会葬者は８０人程度（目算）。ほらね。都会ではこの年代になると付き合いがないので参ってくる人もほとんどいないんでしょうが、適度な田舎の行橋ではやっぱりみんな参ってくるんです。正信偈のお勤めの声が後ろから聞こえてきて嬉しいひと時でした。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.ryotokuji.com/2017/04/04/%e3%81%b5%e3%82%8b%e3%81%95%e3%81%a8/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>保険の営業</title>
		<link>http://www.ryotokuji.com/2016/09/23/%e4%bf%9d%e9%99%ba%e3%81%ae%e5%96%b6%e6%a5%ad/</link>
		<comments>http://www.ryotokuji.com/2016/09/23/%e4%bf%9d%e9%99%ba%e3%81%ae%e5%96%b6%e6%a5%ad/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 23 Sep 2016 14:37:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[t_funakawa]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[住職のつぶやき]]></category>
		<category><![CDATA[法話]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.ryotokuji.com/?p=901</guid>
		<description><![CDATA[こんばんは。 今日は午前中はお彼岸参り。昼から夜にかけては中津にお説教に出ており、先ほど帰り着いたところです。今日明日の会所は、大学院の後輩のお寺様です。近頃めっきり、共に勉強してきた仲間の所に出向する機会が増えましたが &#8230; <a href="http://www.ryotokuji.com/2016/09/23/%e4%bf%9d%e9%99%ba%e3%81%ae%e5%96%b6%e6%a5%ad/" class="more-link">続きを読む <span class="screen-reader-text">保険の営業</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>こんばんは。</p>
<p>今日は午前中はお彼岸参り。昼から夜にかけては中津にお説教に出ており、先ほど帰り着いたところです。今日明日の会所は、大学院の後輩のお寺様です。近頃めっきり、共に勉強してきた仲間の所に出向する機会が増えましたが、おそらくそれは住職になったりして講師選定を差配できるようになった、つまりお互いに年をとったということなんでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>さて、先日保険屋さんからこんな話を聞きました。</p>
<p>例えば洋服屋の営業というものはお客の方に需要がある。つまり手持ちが古くなったり、ニーズに合うものをもっていなくて、新しい服がほしいという欲求がある。だからその欲求に合わせる形で勧めていけば、必然として売れる。でも保険の営業はそうはいかない。保険に入りたいという欲求をもった人はいないから。だから、その欲求を起こすところから始めないといけない。つまり、「このままでは安心できませんよ、あなたは将来に対してこんな不安を抱えてあるんです。安心するにはこの保険に入らないといけないんです」という不安感を煽るところから始めないといけない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そんな話でした。なるほどな、と思います。このことをお寺に当てはめてみると、お寺に足りないのはこの不安感を煽るということなのかと思います。いい方が悪いですが、私たちが死ぬというのは事実なんです。だけども、皆それを直視したくないものだから、私たちは考えずに過ごそうとするのです。また、考えてもしょうがないと勝手に結論づけるのです。でも果たしてそれで良いのだろうか。その答えを持たずにどこに向かって生きていくのだろうか？ということを一人ひとりにきちんと伝えていくことをしなくてはなりません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>先日の布教大会でひと話ありました。今川（行橋の中心に流れる川）沿いをランニングやウォーキングしている人はたくさんいる。その人たちに「あなたは何のためにウォーキング（ランニング）していますか？」と聞くと、おそらく「健康維持のため」とか「大会で好成績を残すため」という答えが返ってくるでしょう。そんな中で「さあ？」と答えたとするならば、それはものすごく奇異なことです。でも、それと同じことを私たちはこの人生においてしているのですよ。終わりゆく命をどう生きていくのか。答えのないまんま漫然と一日一日を生きていて、不安はないですか？そんなお方はぜひお寺参りしてください。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>私自身は明日が秋のお彼岸出向最終日です。もう一日、ビシッと勤めたいと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.ryotokuji.com/2016/09/23/%e4%bf%9d%e9%99%ba%e3%81%ae%e5%96%b6%e6%a5%ad/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>
