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親になり初めて気づく親心


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みなさん、こんばんは。

先日来より続いている5時起き習慣。今日も続けておりました。朝起きて、走りたいと思い、まずは天気を確認と玄関のドア開けたらザーッという雨。「あ~あっ」、残念でした。そこで、選択肢は二度寝するか、他のことをするか。ただせっかく起きたので、他のことをしようと勉強することにしました。

うちのお寺の法座のお説教を音源で1席お聴聞です。これが実に良かったです。

お聴聞する中に出てきたのが、ご門徒さんが親戚に出した法事の案内のハガキに詩が一首詠んであってそれがこんな詩だったそうです。

歯が抜けて 母の恩を 噛みしめる

 

若い時分は年とった母の心なんて理解できませんから、若気の至りで言いたい放題親に向かって言っていた自分。でも、その母の年齢に差し掛かり、同じような境遇を迎えたときに初めて、その老齢の心境、そんな中でも自分にかけていた思い等、当時の親の心に気づきました。というところでしょうか。

恩というものはその時には分からない。振り返ってみて、過ぎ去ってみて初めて触れるものなのかもしれません。

そんな中、今日7日目を迎えたお盆参り。午前中のお参りの最中にフラッシュバックするような言葉を門徒さんの口からききました。「自分がこうなってみて初めて気づくねえ」と。

また午後のお参りの最中にもありました。それは、まだ若い娘さんですが、最近嫁いで出産を迎えました。そんな娘さんが、最近言ったそうです。

娘「正直、今まで私はうちのお父さんお母さん、まじウザイと思ってた。でも、そんなことなかった。今回初めて思ったよ。一番楽な場所だったって」

父「そうやろう。だから母さんいつも言っとったんや。あんた、はよ結婚なさい。そうすれば私が言よることが、言い寄る気持ちが分かるから」

親になり初めて気づく親心ですね。

私たちはどれほど眺めても、なってみなければ分からないことはたくさんあります。なまじ知識があるだけに分かったつもりになって生きているだけでしょう。その我がいのちの足元を見つめたときに生まれてくる思いを恩(原因を知ったときに生まれてくる心)というのですね。

恩を語ることが仏教の目的ではないですが、恩が分からない人間には浄土真宗の教えは伝えようがないですから、まずは恩を今年の初盆では語ってみることにします。(初盆では元来法話はしないのですが、やっぱりどうも法事がしまらないので明後日からはしてみることにします)

 

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