14日、15日に渡り、秋のお彼岸の法要が勤まりました。
今回のご講師は岩国市より弘中英正先生でした。
初日の昼座は善導大師の六字釈を通して、「なもあみだぶつ」の六字のお心を、
2日目の午前は「生死の苦海ほとりなし ひさしく沈める我らをば 弥陀弘誓の船のみぞ 乗せて必ずわたしける」という親鸞聖人のご和讃の味わいを、
2日目午後は、ご法座を勤めたときに、いつも最後に言わせて頂く「領解文」のお心をそれぞれお取り次ぎ下さいました。
しっかりとした話でいながら、親が食べ物をかんで含んで子どもに与える如くに、身近なお喩えで受け取りやすくお示し下さいました。
生死の苦海という所で、仏教では「人生とは苦なり」と示されるけれど、苦とは苦しいということではなく、ままならないということですよと言われて、すとんと腑に落ちました。
人間は生まれてくる場所も自分の意志では決められません。
生きていく過程で、私の想いに関わりなく突然の病にかかったり、倒れては介護を要する身となりもします。自分自身は健康でも家族が病を患い、人生設計が大きく崩れることもあります。
死にゆく有り様も自分では決められません。自宅で死にたい、自宅にいたいと願っても、(家族も苦渋の想いの中で)ホームに入ったり、病院に入ったりするのです。実際には色んな人間の思いが絡まり合った所でしか決められません。
考えてみれば、自分の思い描いた姿で生きている人の方が稀かもしれません。
仏教に出会うと言うことは、そのままならない人生をままなるようにするという話ではありません。
ままならない人生を歩みながら、そのままならないまんまを「乗せて必ずわたしける」と言われるように、私を受け入れ護り導く方と出遇っていくということなのです。
と、その辺りのお話しを聞かせて頂いたことでした。
さぁ、今度はこっちが行く番です。週明けまでたっぷりと再考させて頂いて、20~28日までほぼ出ずっぱりです。