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大乗山 両徳寺

9月仏婦例会


今日は婦人会の例会を行いました。

7月を前住職に勤めてもらい、8月はお休みでしたので、ずいぶんと久しぶりに例会を勤めさせていただいた感じでした。みんな元気そうでよかったです。

 

さて、いつもの仏教婦人ハンドブックにしたがっての話ですが、

最近の話題を織り交ぜながら、今日は第33願触光柔軟の願を中心にした話でした。

触光柔軟の願、阿弥陀さまの光に遇ったものは身も心もやわらいだいのちとなる。

ハンドブックでは、ご本願にあった人は、身も心もやわらいだ人間に変わるというニュアンスで書かれていましたが、ちょっとそこまでは同意しかねます。

というのも、仏法にであっても人はそう簡単には変わらないと思っていますし、そんなに変わった姿は見ないからです。凡夫の根性は、どこまでいっても私可愛いですから。

ただ、温泉に浸かるがごとく、お慈悲に浸っていることを喜び、効能が身にしみるがごとくにその生活を喜んでいる姿がそこにある、という感じでしょうか。

 

一言で書こうと思うとなかなか難しいですね。

土曜日は今度は壮年会の例会。こちらは歎異抄後序です。勉強の季節です。

 

 

“9月仏婦例会” への4件のフィードバック

  1. 阿弥陀さまの仰せで触光柔軟と願い誓われ、私達、凡夫の苦悩の上に働き、心を柔らかくしてくださることに疑いようがありません。

  2. 凡夫の私は凡夫のままですよねー。確かにすぐには変わるはずはありませんよね。お恥ずかしいものです。阿弥陀さまは、凡夫の私を救いの目当てにして私の命、人生を尊いものにしてくださる事に感謝感謝です。
    いつも有り難く拝見させてもらっています。

  3. 何度も投稿、本当に申し訳ありません、、
    凡夫の私は根本的には変わりようがない凡夫ですね。しかし慎めるところ、変える努力をすべき所は、阿弥陀さまへの感謝として慎んだり、変える努力は必要とお聞きました。それも阿弥陀さまからのお育てなんでしょうね。決して自力ではなくて。

    1. コメントありがとうございます。
      もちろん、「凡夫はどうあがいても凡夫だから、何も努力しなくてよい」などと言う教えではありません。
      むしろ、「それほどまでに私の命を願って下さっている方がいるんだ」という想いの中に、だったら精一杯この命を生ききろう、お礼申しながら生きていこうという想いが生まれてくるのは必然と思っています。だから念仏行者の徳には「知恩報徳の益」(恩を知ったものには自ずから阿弥陀仏の徳を報ずる姿があらわれる)があるのですから。
      ただ、仰る通りこの努力は救いにはかからないという話ですね。信後の報謝です。

      表現は難しいです。信心を得たもの身も心もやわらいで別人になるという表現をとられるとそれは違うと感じます。
      性根は凡夫のままで、同じ姿が続いているのですから。ただ、仏心に出会った喜びがあるのも事実です。それによって、眺める景色が少し変わったり、生きている味わいが増すと言うことも確かだと思います。

      意を尽くせず文章を書いてすみません。

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