今日は午前午後と一日ご法事でした。今から会議もありますが。
お経はいつも「如是我聞」もしくは「我聞如是」と言う言葉で始まります。
お経はお釈迦さま在世当時にはなく、お釈迦さまがご入滅なされた後にお弟子の方々が集まり、「お釈迦さまはこう仰ってあった」と言葉を交わしながら作られたものです。だからこそ、「お釈迦さまがおしゃったことをそのままに私どもは聞かせて頂きます」という言葉で始まっていくのです。
そのまま聞く
一見簡単そうなことですが、なかなかに難しいことなんです。
今日もご法事でありました。いつも私はご法事の際の焼香のご案内は、「お経の途中で「今からお焼香して下さい」って言いますからそれからお願いします」と言います。(それは炭への火の回り具合を整える時間をもつためです)。その時、集まった方々はみな一様に頷くのです。ところが、、です。まだ私がどうぞという前にお焼香が始まることが良くあるのです。頷きながら聞いていないのです。この時皆は何を考えているかというと、私の言葉ではなく自分の思いです。自分の「お経が始まったら早く焼香しないと」という想いが私の言葉を打ち消すのです。
私たちは色んな先入観を持ちながら生きています。お寺で言うと、「仏教とは先祖供養のためにある」という先入観です。しかし人のためと思っているうちは、仏法は私に響いてきません。私のためになってこそ、仏法が我が事となっていきます。
今日は彼岸の入りです。彼岸の一週間はお墓参りのためにあるのではなく、お寺参りをし仏法聴聞するお聴聞習慣です。私自身も明日明後日は矢留の真行寺さんでお説教のお取り次ぎです。どうぞ自分自身の先入観で聞くのではなく、そのまま耳を傾けて下さい。