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大乗山 両徳寺

自宅葬


年末から葬儀が立て込みましたが、新年早々にお通夜が。

しかし、ありがたかったのは今回自分の記憶では7年ぶりに自宅での通夜・葬儀をして下さること。最近は家族葬ということがはやりという一面もあります。一つには家族でゆっくりと送りたいという思いもあるかもしれませんが、本音は地元の皆さんとの付き合いが面倒くさいとか疎遠だからという理由があるでしょう。でも、もし前者の想いから家族葬という選択をするのであるならば、やっぱり自宅でしてほしいものです。自宅葬のメリットは、一つには費用が安価で済むということもあります。しかし、一番大きなメリットはその人が過ごしてきた場所で送るということ。お互いが多くの思い出を共有している場所で過ごすからこそ、他人行儀にならずに本音の命と命の向き合いができるのではないでしょうか。

 

ちょうど正月休みの間に御正忌の音源をもう一度聞きなおしていました。

その中にこんな話が出てきました。

れは、ご講師さんの奥さんの親が亡くなった時の話です。この奥さんには弟がいました。通夜の晩、お酒を酌み交わしながら弟が語ったのは、「俺は親父が大嫌いだった」という話でした。そして、なぜ嫌いになったかを延々と語ったそうです。そして迎えた葬儀の後、お棺に遺族・会葬者がお花を手向けて順番にお棺から離れていく中、ただ一人お棺から離れなかったのはこの弟でした。斎場の方に促され、その場を離れるとき、弟の口からこぼれ出たのは「ごめんな~」の一言。

通夜・葬儀の時間を通してこの弟は何を感じたのでしょうか?それは恐らく、譬え自分が嫌われ者になったとしても、子どものことを思い厳しく接してきた父の姿と、その心に気づかずにずっと反発してきた自分の姿だったのではないでしょうか。だからこその「ごめんな」の一言です。世の中には失いながら出会っていくものもあります。失ったからこそ、出会ったともいえるかもしれません。ただ儀式としてこなしていくということではなく、そういう出会いができる時間・空間を作っていくことも大切なことではないでしょうか。

 

今日の自宅葬の通夜のお勤めの中で改めて思い、伝えさせてもらったことでした。

 

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