さて、今日から本格的にお盆参りの始まりです。
8時~18時過ぎまでたっぷりとお参りさせてもらいました。やっぱりお参りに回っていると色々と考えるところ、感じるところがあって、それが私のまた法話のタネになるのですが、そうした感じたことを少しずつ書いてみたいと思います。
まずは、「味わい」という話。お寺参りする方の中には、「なかなか勉強が足りなくて」とか、「言葉が覚えられなくて」などと仰る方がいますが、仏教は知るものではなくて、味わうものです。最近父が思い出したようにこんな話をします。
あるお宅に法事のご縁で伺った時のこと。
法事の休憩中に、そこのお宅のおじいちゃんへ
「今度また法要が勤まりますから、ぜひご参詣ください」
すると、おじいちゃん
「そうですか、ではまた参らせてもらいましょう」
ところが、それを横で聞いていた息子さん
「何十年も聞かにゃ分からんのか!つまらんのう」
と分かった風な一言。その一言に怒ったのが、おじいちゃん。
「何を!じゃあお前、二度と正月の餅は食うな。なあ、ご院家さん」
話を振られた父は意味がよく分からないまま
「そうですね」と一言。
このおじいちゃんは、何を言っているのでしょうか。
それは、正月に餅を食べるのは、そのおいしさを知っているから食べるのです。おいしいものは何回食べても美味しいものです。味を知ったら後は二度と食べないとはならない話です。うちの子どもたちも、桃・バナナ・スイカ、その果物の味を覚えたので、見せるだけで大喜びします。お聴聞も同じことで、知ったらどうでもいいという話ではないのです。仏法聴聞の味を知ったからこそ何度でもその味を味わいにお寺に参るのです。
この時期だけ、納骨堂に参りにくる人は多いですが、仏法を味わいに来る人はなかなか多くありません。お寺の中心は本堂です。納骨堂ではありません。今度はぜひ本堂にお聴聞にお越しください。