19日・20日の二日間にわたりまして、両徳寺秋の法要が勤まりました。
今回のご講師は大阪府より安方哲爾先生でした。
浄土真宗の話は、世間の考えではちょっとわかりにくいと思う部分があります。
しかし、考えてみれば世間の考えはもう今更聞かないでもしっているはずです。それを今更聞いても意味がありません。そして、その世間の論理の中で実は苦しんできたのが私たちなのです。そういう意味で、浄土真宗のお話は世間の価値観とずれたものを示すから値打ちがあるのです。
浄土真宗のお話には、生き方の話はありません。それは知っているからです。知っていながらできていない人に今更「あなたこう生きなさいよ」と語っても、その人のことを責めることにしかつながっていかないので、語らないのです。
浄土真宗のお話には、罪を告げるところがありません。それは告げたってしょうがないからです。罪をつくる前ならいざしらず、罪を犯したその人を責めたって何の解決にもつながらないからです。
私たちはワイドショー感覚で、他人事の時は「こういう風に生きればいいのに」「こんな生き方をしてるからダメなんだ」と責めます。しかし、実際問題自分はそんな立派な生き方をしてるでしょうか。法を犯してないというだけで、本当は口で人を傷つけ、腹の中では何人の人を殺してるのが私の姿かもしれません。
そんな私と知っていらっしゃる阿弥陀様は、ただ救いだけを告げなさる。
苦しかったな辛かったな、あなたはあなたなりに精いっぱい生きてきたな。そのあなたに向かって、『頑張れ』と言ったって、その一言がまた重荷になるな。だったら、あなたに何も要求せず救い遂げられる仏に私が変わるから、どうか救われておくれ。
その一言に出会って、私たちはこの命の慶びを頂いていくのでしょう。
人間、元気で長生きが一番といいますが、どれほど健康でも誰からも相手にされずに生きている人には孤独と絶望以外の何があるでしょうか?逆に病患っても、老いを迎えても、わがいのちのあり模様をそのまま受け止めてくれる人を持っているとしたならば、私たちは一日一日を喜びの中に生きていけるでしょう。すくいとは、その思いに出遇っていくことなのです。
そこのところをお聞かせいただいたことです。
ちなみに、今回のお座には門司の婦人会の皆様方もお聴聞に来て下さいました。ありがたいことです。ご法中も数名顔をのぞかせてくれました。ありがたいです。共に聞き、共に喜び、一日一日歩ませて頂きたいものです。
次回ご法要=御正忌報恩講(12月8~10日)
ご講師:紫藤常昭先生(福岡市)
御正忌報恩講は浄土真宗門徒にとって欠かせない一年で一番大切な行事です。
あなたのために開かれている法要です。その場にあなたがいなければ何のためにしているのかわかりません。必ずご参詣ください。