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大乗山 両徳寺

臨終勤行


充実した、というか考えるところの多かった数日間でした。

11日の午後は壮年会の方のお宅のご法事。お斎と法事合わせて4時間も滞在させていただきました。その間、ずっとそばに息子さんや娘さんがおられてお話しさせていただきました。こういう機会に次の代の皆さんとゆっくり交わらせていただけたら本当にうれしいです。どちらかというと、敬って遠ざかられることの方が多いですからね。

その晩は、壮年会の例会。現在、お釈迦様の生涯を学んでいます。成道というお悟りを開かれるところから、涅槃に入られる一歩手前までを流していきました。ちなみに、先の壮年会のお方。法事で遠方から家族が集まってきているから休むというかと思ったら、きちんと出てきてくれました。そこまで含めてお寺を大事にしている姿を息子さん娘さんに見せて下さる。本当に身業説法ですよ、ありがたいです。

ちなみに、夕方とある門徒さんのお宅のワンちゃんが亡くなったということで、お勤めに行かせてもらいました。その時に仰られたことがあまりにありがたいので、簡単にですが、ちょっと書かせてもらいます。

「うちの両親を見送った時は病院でした。先生が機械を眺め、臨終ですと告げられて「そうなのか」という感じでした。でも、この子(と先に亡くなったもう一匹の犬)は最後まで私の腕の中で看取りました。腕を通して心臓の鼓動が聞こえてきて、その生命力が無くなっていくのが分かります。その時です。臨終勤行を勤めさせてもらいました。讃仏偈のお勤め。ありがとうと感謝の言葉。そしてお念仏。両親の時はありがとうしか言えませんでした。でも、母が亡くなったのを気にお寺に通うようになって、今はお勤めができます。お寺で聞くお説教は正直わからないところもありますが、今回こういう別れを過ごすために私は今までお寺に通ってきたんだなと思いました」。最後にお勤めしながら、死の受容をしていく。別れの中にここまでの自分の人生を受け止めていく。これが臨終勤行なんですよね。

 

12日、13日は田川への布教。ずいぶん前からお世話になっているお寺で、隔年で行かせてもらうのですが、実は去年も本来のお寺の法座とは異なる行事の会所であり、その際に招いて下さったので、3年連続のご縁となりました。初々しいご養子の若ご院家さんと人懐っこい若坊守さんの姿が僕は大好きです。毎回近所の仲良しの若坊守さんとか、坊守さんがお聴聞に来てくださいます。今回の布教に関しては、実はここ最近のゴタゴタで心が不安定で臨んでいた気がします。不安定というか、言葉は整理できていないんだけど、伝えたいことだけはたくさんあるという。でも、「話したい事を話したいときに話す方がいいよ」と先日どなたかとの会話で言い交してあったので、今感じることを突っ込みながらお取次ぎしておりました。

嬉しかったのは、初日の夕方「今日のお昼のお取次ぎありがとうございました。人柄が滲みでていますね、伝わりましたよ」と言ってくれたこと。自分の職場でのことも踏まえ、大いに共感してくれたようでした。まだうまく整理できていませんが、伝えたいことが今溢れています。早く整理したい。。。

 

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